第3回 俳句の自由

ぐるぐるしていたぜ。俳句俳句蒙昧俳句俺蒙昧蒙昧俳句蒙昧俺俳句…。
ここはどこ私は誰?と思いました。
戻ってきた。俺は来た。良かった。まだ足はふらふらだけど、生きてるぜ。
今回はとれたてホヤホヤのぐるぐるなので、ちょっと調子が違います。

俺は俳句が好きだ。
どれくらい好きかというと、まあまあ好きだ。
好きだと思ったのは、「これは一生遊べるぞ」と思ったからだ。

俺は遊ぶの好きだ。遊びにかかわらず、面白いのは好きだ。
映画好きだ。麻雀好きだ。小説、将棋、落語に漫画、議論も競馬も女の子も、批 評だって読むし、旅行だって行きたい。野球なんか最高だし、音楽とか踊りだっ て、下手だけどしちゃうぜ。
人も好きだ。偏屈なのも、向こう見ずも、おじいちゃんも、ギャルも。ましてや 運転手さんや、お相撲さんや、大統領や、ご近所さん。あとお母さん。
枯れ木も好きだ。アスファルトも、リヤカーも、おならも、地球も貝殻も。
嫌いなものも好きだ、自分も好きだ。恥知らずも、どら息子も勝手な妄想も余計 な奔走も好きだ。
「わかっちゃいるけどやめられない」という言葉が好きだ。

この好きだ好きだのおめでたい世界に「俳句」が加入した。
それぐらいのことである。俳句がどれぐらい好きかと言えば。

「俳句」の加入によって変わったこと。
それはこの好きだ好きだの世界がよりいっそう関係しだしたこと。
正直お花だとか、鳥とか、生活の中の行事だとかよく知らなかった。
だけど、そういうことと、自分の好きなものは結局同じように何か面白いもので 、今でもあらゆることを知ったかぶりをしているのだけれど、なんか楽しい。

俳句がいいなあ、と思えるのは、何かに対して感じる、好きだなあ、という心の 動きと繋がっているからだと思う。
汚いもの嫌いなものも、その問題意識も、好きな言葉で表すことができるし、何 より俳句は「短い」から、これだってあれだって、言っちゃえ書いちゃえ、とい う風にしやすい。心の動き、すなわち俳句だ。

誰も聞いてくれない呟きのような俳句を詠もう。
重々しくて受け止められない俳句を詠もう。
軽薄で嘘ばっかりな俳句を詠もう。
カッコイイ妬まれる俳句を詠もう。
超エロい赤裸々な俳句を詠もう。
静かに正座してる俳句を詠もう。
吹けば飛ぶような俳句を詠もう。
誰かがそっと愛してくれる俳句を詠もう。

飽きるよ。しかし、飽きない。他にいくらでもすることがあるよ。でも付いてく る。もう「俳句」は俺に付いてくる。みたいな気分になってくると、もうイケイ ケ。実際は諸事情が優先されることが多いけれど。中断するかもしれないけれど 、一生付き合っていけるだろう。だって普通じゃん。やってることは普通のこと 、ちょっと自分を確認しているだけのこと。

俳句は自由だ。
規則のようなもの、歴史、暗黙の了解、人の批評、自分自身の好き嫌い。
それらの全てに縛られている。だけど、自由。普通のことだから自由。自分の一 番近くにある自由。

さあ、俺の大体17音ぐらいの言葉の塊を否定するやつは、思いっきり否定してみ ろ。認めるときはすんなり認める。認めないときは絶対認めない。うじうじ悩ん で結局俺のものだ。ざまあみろ、というちっぽけな自由。ちっぽけ過ぎて泣く自 由。ここにある自由。

恐れることはない。俳句は自由だ。俳句を詠もう。


ということで、「好きだ好きだ」から「自由自由」の第3回でした。
すぐにまたぐるぐるするでしょうが、今回は大回転の永久保存版です。
次回からは、内容をタイトにするつもり(そうあってほしい)。
今のところ「切れ」についてやろうと、考えています。

だけど、あんまり俳句の世界の過去の俳句は引用したりふりまわしたくないとい う感覚があります。何故なのかは今自分でも考えているのだけれども。
そして、それとも関係あるけれど、大募集!!

1、 ふりまわしてほしい塾生
2、 ふりまわしてほしいテーマ
3、 ふりまわしてほしい俳句

1は軽いノリで。2はネタ切れ防止。3は軽いノリでも気合でも。

ふりまわすと言っても多分とても丁寧にふりまわします。
非道いことにはしないので、掲示板でも、お手紙でもメールでも連絡下さい。
お待ちしております。